life is tiny, sometimes journey.

ささやかな暮らし/時々旅へ

読んだり書いたり

最近ちょっと、文章を書く、ということにちょっと難しさを感じることも多く。

何というか、書いていて、サザエさん的というか、金太郎飴的というか、似たような文章になってしまう傾向があり。

どうすれば改善するのかな、と考えつつ書いてみます。

 

若い頃と、小説と

文章を書けるようになるためには、他の人が書いた文章を多く読むこと、それと同時にたくさん書くことの両方が必要なのかな・・・と、一般的に。

もともと本を読むのが好きで、若い頃はよく読んでいましたが、こうして書くようになってから「読む量<書く量」になってきてしまったようです。

他の人の書いた文章を読むというのはきっと大切で、おそらく自分も、多分にいろいろな人の影響を受けて、それが自分の書き物に出ているように思います。

若い頃に読んできたのは小説や紀行文が多いのですが、その文章の影響ってどこかにあるのだろうなと。

小説が持つ文章の雰囲気、描写、というのを無意識に参考にしていたりもします。

当時は大学まで電車通学を2時間ほどしていたので、本を読む時間も十分にあったのです。スマホもない時代。

若い頃に読んだ文章、その量もきっとアウトプットの基礎体力に重要なのでしょう。

また、若い頃は情報やスキルを柔軟に自分の中にインプットできるので、若い頃に読んだ本って大きく影響するのだろうなと、今となっては思います。

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メールと、実用書

一方で、最近は小説よりも実用書の類や、ブログ、仕事のメールなどを読むことが多い。

自分はIT系の会社で働いており、そういう職場はメールのやり取りが盛んにおこなわれています。(メールが主体、という風なのは近年減ってきましたが。)

中には、ちょっと個性的な文章のメールを書く人もいて、そんな人たちの文章の影響も無意識のうちに受けているかもしれません。

(そんな人たちを見ていると、おそらく読書家なんだろうな、と思われます。)

で、ビジネス書の類もたまに、読む。

ビジネス書のような本を読む場合、結構速読してしまう癖があって、読むというより、インポートしている感じです。音楽CDをパソコンに取り込むような、あんな感じ。

インポート作業だから、読後感みたいなのは残らないのですね。自分の文章に影響を及ぼす、ということはあまりなかったりします。

でも今の世の中、文章って流すように読まれることも多いのかもしれませんが。

そして、書くこと

書く、といえば、自分だったらもっぱらPCを使います。手書きって本当に減ったなあと。世代なのでしょうか、スマホで書くのは今もちょっと苦手です。

仕事でもメールを書く。仕事でなくても、こうしてブログで書く。

PCで書いたものは、こうしてウェブブラウザやメールソフトなど(PCでもスマホでも)で読まれます。

なので、それを意識した風に書かねばなあ、というのもあります。

個人的には、表現のバリエーションをもう少し幅広くしたいところ。

単に書き続けるだけではバリエーションは増えていかない。そこはやっぱり、小説のように、描写にすぐれた文章を読むのがいいのだろうと思うんですが、、

それで最近、昔読んでいたような小説の本を何冊か買ってきました。

それはいいのですが、読んでいてあれ、これ過去に買ったことある本と同じだ・・・とちょっと凹む。引っ越しの時に処分したのかな・・・とか。

気を取り直して別な本を読み始めて、そうしたら上の子供が「オセロやろう」と誘ってきたり、昼寝していた下の子が起きてきたり、という日々。

本を買っても「積ん読」になりつつある・・・読みたい、けれど書く時間も欲しい。

と、最後が愚痴になってしまってごめんなさい。それでは、またいずれ。